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瑞穂の国の経済論 (経世済民論)

   概略次世代貨幣システム考  新子 浩二(あたらし こうじ)


 これからもう一つの経済と題してお話いたします。

もう一つの経済とは、現在の世界を覆っている資本主義に対してこれとは違った経済(貨幣システム)があるということです。

 はじめに第一部として資本主義のからくりの根本を問うために、利息の性格とその結果の重大性、魔術のようにお金が作られる仕組みの信用創造、なぜ政府以外の者がお金を発行するようになったのか。
そのようなことについて書いていきます。

 第二部は新しい貨幣システム(本来の貨幣システム)の概略です。

少し長いお話になりますがこれから順序だてて書いていきますのでよろしくお願いします。  (一部更新 H28.7月テンプレ.タイトル等変更)






 第一部 現在のお金の問題点 (お金に与えられている約束事、属性)

 1 利息(利子)(利息と利子は同じことを言っているのですがここでは利息で統一してお話します)

 銀行にお金を預けておけば利息がつきます、銀行の利息だけで食べていければどんなに良いでしょうか。
羨ましい限りです、利息の常識として銀行にお金を預けても利息が付くし、銀行から借りても利息がつきます。
銀行は預かったお金に少ない利息をつけ、貸し出したお金により多くの利息をつけて、その利ザヤでもって経営されているというのが一般的な常識です。

 しかし、この利息が曲者なんですが、そのことについてみて行きましょう。
そもそも、お金はどうやって造られるのでしょうか。造幣局で印刷? じゃなくてその出処です。

お札には「銀行券」と書かれていますのでその発券元は銀行です。
では、いつどんな時に発行(発券)されるのか知っているでしょうか?
それは個人なり企業なり国なりが銀行からお金を借りた時なのです。

これが一番初めのお金(お札が世の中に流通する始まり)の出処でした。経済活動をするときに国や企業、個人が行うローン契約によってつくられたお金が経済活動をする人々の間を回るようになるわけです。

 ここで最も重要なことは、実は世の中にあるお金は「全額誰か(国や企業や人)の負債によって創られたお金」だということです。これに利息が付き続いているのです。 

(法律によって銀行にはお金の発行権が付与されている。お金を必要とする者は、その銀行券を発行してもらう為に何らかの担保を銀行に提供しなければならない。それは貸し手側の銀行券という印刷物と借り手側の実財産を引換える契約を結ぶことである)

私達にとってこの簡単で常識的なことが、はたしてどんな結果をもたらしているのか なかなか理解出来ないところですのでこれから順序立ててお話いたします。


 まず、何故ローン契約(何らかの担保を銀行に差し出してお金を借りる行為)をしてまでお金を必要とするかといえばそれは お金はなんとでも交換できるとても便利なものだからです。

お金のなかった頃は欲しいもの必要なものがあった場合それを持っている人を探して自分がもっているものと交換交渉をしてきました。いわゆる物々交換というやつでこれには色々と不便で厄介なことが伴います。

それなら自分が持っている不動産とか信用の一部をあらかじめお金に変えておけば物やサービスの交換は自分が持っているお金でもっていつでも何とでも自由に行うことができる。となったわけです。
国の法律にも、何人も物やサービスの交換手段として支払うお金(紙や金属で作ったもの)の受け取りを拒否できない。と定めているのです。

企業は銀行からお金を借り、サラリーマンの人たちは勤め先から給料としてお金をもらいます。
商売人や企業人達は物を売ったり買ったりしながら出回っているお金のやり取りをします。

銀行はお金をどんどん貸し出すことによって莫大な金額のお金が世の中を潤し私たちはその恩恵に浴している。ということになっているのです。

もちろん銀行が出来る以前から、お金は流通していました。それらは主に金貨とかコインとかでした。
現在使われている紙幣がそれらにとって変わるようになったのには、次のような経緯があります。

ヨーロッパでは、近代に至るまでお金を貸して利息をとる行為は神のみ旨に反するということでキリスト教でもユダヤ教でも、聖書によって戒められていました。

<レビ記25章36節 : 彼から利子も利息も取ってはならない>
<申命記23章19節 : 兄弟に利息を取って貸してはならない。金銭の利息、食物の利息などすべて貸して利息のつく物の利息を取ってはならない>


ただユダヤ教の場合異邦人に関してはその限りにあらずとなっていました。
<申命記23章20節 : 外国人には利息を取って貸してもよい>

しかし、いつの時代でも高利貸しはいました。

ちなみに、イスラム教では現在もなお利息をとることは禁止されていますのでイスラム教の銀行では利息はありません。(手数料とかはある)

近代になって両替商を営んでいた一部のユダヤ人や初期の銀行家(金貸し)達によって近代的な銀行業が始められたのでした。
聖書にもあるようにお金を扱う仕事は卑(いや)しいものとされていましたので迫害を受け仕事のないユダヤ人たちに両替商が多かったのです。
両替商の仕事は、おもに貴族が持っている自家製の金貨の管理です。
当時金貨の大きさや品質はまちまちでした、しかも各貴族が自分のコインに自分の家紋や刻印を入れていたので取引の後には新たに手にした金貨を溶かして自家の金貨に作り変える作業が必要だったのです。 

その仕事をしていたのが両替商でした。彼らは仕事柄大きく頑丈で警備の行き届いた金庫を持っていましたので、お金持ちたちはその金庫を借りたりしました。
両替商は金貨や宝石を預かり、預り書を渡しますので、その預り書を両替商にもっていけばいつでも金貨と交換できたのです。

―― 金貨での取引、預り書での取引が長らく併用されていきます。

こうなると両替商が発行した預り書だけを交換すれば重い金貨を持ち運ぶ必要がなくなりました。

折から起こった産業革命により資金需要は爆発的に大きくなりこの時流に乗って両替商の発行する預り書は紙のお金、兌換紙幣(だかんしへい:いつでも金と交換出来る紙幣)へと変ってゆき様々なルールを設けながら、また離合集散しながら銀行業へと成長していったのです。
これに伴い人々の価値観も宗教的なものから経済的なものへと移っていき利息をとってもそれをはるかに上回る利潤が両替商や銀行家たちを近代の国際金融資本家へと導いていったのです。

ちなみに、お札の流通に最初に成功したのは、1694年設立のイングランド銀行だと言われています。
イングランド銀行は1725年から部分的に印刷した銀行券を発行しはじめます、後に銀行業に大きく関わるようになるのが1815年のワーテルローの戦いでイギリス国債を買占めて天文学的利益を上げるロスチャイルド家です、このときロスチャイルド家の一人勝ちによりそれまであった有名な名門貴族の多くは破産したといわれています。


それで、銀行は貸出をするときは当然5%なり10%なりの利息をつけるわけですが、この利息分のお金は当然銀行からは出ません。  えっ、と思うかもしれませんがすべての貸出金からは元金のお金しか出ていないのです。

この仕組みを正確に理解するということが非常に重要なのですが理解出来るようにするにはかなりの説明と欲心のない知恵が必要です。
もしこのことが知的にだけでなく心情的にも理解できたなら、あなたは貨幣システムに意図的に組み込まれている最重要機密に触れることになるのですが、・・・

「あなたに現在お貸しするのはこの金額ですよー、あなたはしっかり稼いで返済日には利息を含めてこれだけ返してくださいね。元金より利息分が増えるんですよ、いいですね」 ということですね。
もし最初から借りたお金に利息分のお金もつけて貸してくれているとしたら、それは利息が0円ということです。

このとき誰しもこう思うでしょう、「銀行だってリスクを背負うわけだし給料だって払わないといけない、経費だってかかっているんだから利息をとることは商売として当然だ、悪くはない。それに借りたものにお礼をつけてお返しするのはむしろ倫理に叶っていることだ、うん」

そうなんです、そう思うことは特に倫理観の強い人にとっては至極当然のことなのです。 が、今問題にしようとしているのは銀行の商売のことではなくて、ただ単純に利息というものの事です。

借りたものにつけるお礼は、数ある品物の中から選ぶことができます。結婚式に誰かに留袖を借りたとして、返す段になったらデパートに行って、お礼は昆布の佃煮にしょうか?洋菓子の詰め合わせにしようか? と数ある商品の中から選べます。が、ことお金に関してだけは銀行以外からの出処がどこにもありません、しかも日本なら円だけです。
ですから利息分のお金も、元金しか出まわっていない市場で、なんとか稼いできて元金に利息をつけて銀行に支払うということになります。


 いいでしょうか、このことが理解できたら次のお話をお聞き下さい。


ここで、すべての借り手側を便宜上一人の人間として、単純に銀行と借り手側としてだけ考えてみましょう。
わざわざこのように考えるのはお金は何処にでもあるもの、誰もが持っているもの、働きさえすれば簡単に手に入るもの、という強烈な既成概念を取り除き、利息というものが、はたしてフェアーなものかアンフェアーなものかということだけに意識を集中させるためです。


 
 もしあなたが、人類史上初めて銀行から1000万円を借りた人だとします、世の中にはまだ1円のお金も出回ってはいません。あなたが元金を受け取ったあと銀行家はこう言います、

「契約書に書いてある期日の日に利息を含めて1100万円を返して下さい、いいですね」 

しばらく考えたあと、あなたはこう聞き返しませんか

「・・・その利息の100万円というのは何処にあるのですか?」 


 ・・・そうです、実は元金の1000万円は銀行から出ていますが、先程から何度も繰り返しているように利息分の100万円は銀行からは1円たりとも出ていないのです。市場にはまだ最初に借りた1000万円しか出ていないのですからどんなに頑張って集めたとしても1000万円しか集まるはずがありません。なのにどうやって1100万円が返せるというのでしょうか?

ですから元金に利息分を含めて返済をするということは不可能な事なのです。現在の銀行の行員では分からないかもしれませんが、銀行家とよばれる人たちは(この単純なカラクリを) みんな知っているのです。こんなことが法的には何ら問題はないというのです。
難解でややこしい計算が必要に見えるクイズの出題も、ちょっと発想を変えれば簡単に解けた問題のようなものです。

 
 それでは同じ内容です


これを10人の借り手と同時に同じ契約をしたとします、元金は1000万円×10人=1億円です。 利息は100万円×10人=1000万円です。

この内容でそれぞれが経済活動をして返済日を迎えたとしたらどうなるでしょう?


また100人ならどうでしょう。


次に1000人、万人、億人ならどうでしょう。


では、それぞれの返済日を変えてみたらどうでしょう。


次に、利率もそれぞれ変えてみたらどうでしょう。

先読みすることを急がずに、どうかこの問題をご自分の頭でしっかり計算してみてください。




どうですか、



答えはこうですね。

『それぞれの力量によって利息を含めて十分返済できる人がいる反面、必ず返済できない人が出てくる!!』
ということです、このシステムに従えば 生き残れる人がいる反面必ず生き残れない人達が出る事が最初から決定しているというのです。

 余談ですが、利息が出来るまでに大量の金貨とかお金がすでに出回っていたではないか、だからその余分なお金が利息の原資になるから問題ないと考える人もいるかもしれませんが、例えば、少し前 世界のGDPは約5000兆円でした、この金額に5%の利息がつくとしたら20年で利息が5000兆円になります、10%なら10年で5000兆円の利息です元金と合わせると1京円です。
こう考えただけでも、パイの小さかった頃のお金の発行量などではとても利息の足しにはならないことが分かります。

弱肉強食とか、勝組負組だとか、自由経済なんだから多少犠牲者が出るのは仕方ないことだ。資本主義とはそういうものだ。 それが法律だと簡単に片付けることができるでしょうか。もしそうなら地球一家族なんて願うことすら無駄なことではないでしょうか。

お金ほど私たちの生活に、また生死禍福に直接深く関わっている物はありません、国民の為に作られている法律なのにどうしてこんなにもアンフェアーな法律になっているのでしょうか。

トランプのポーカーゲームでいうなら、親はカードを配る前にカードの絵柄を見ながら好きなカードを選んで配れる。というルールで対戦しているようなものです。こんなルールで楽しく愉快なゲームになるでしょうか。

ですから、この利息を取るというシステム上ではどんなに一生懸命に働いたとしてもすべての人が元金に利息をつけて完済するということ自体が不可能だということなのです。 聖書にあった戒めは本当だったのです。
結局、銀行にとって一方的に有利な条件でしかありません。

私たちはすでにたくさんのお金が出回っている社会にいますし、実際利息を取る高利貸しという商売はコインや金貨が主流だった時代にはもう考案されていて、市場にはすでにお金が出回っていました。
ですからこのカラクリは一部の人達にしか分からなかったようですが、当然金貸し達には十分すぎるほどわかっていたことです。

このようにして作られたワン貨幣システムだけが、大航海時代の植民地政策に乗り西洋文明と共に世界中に経済システムの基盤を築きました。
そして植民地政策がなくなった後も、この貨幣システムだけは地球規模となって現在もなお機能し続けているのです。

私たちは今もお金はいつでも何処にでもあるもの、働きさえすれば簡単に手に入れられるものという既成概念の中にいますのでローンを組むときに一抹の不安を感じながらもハンコを押してしまっているのです。

このように利息という詐欺的矛盾をはらんだまま死のマネーゲームは始まってしまったのです。

世の中に出ているお金はすべて元金だけですからその中から元金+利息を持ってくるという事は、必ず返済できない人が出てくるということになってしまいました。
返済すべきお金の量よりも世の中に出回っているお金の量のほうが絶対に少ない! となったため、お金は宝石のような希少性を持つようになったのです。
しかも返済すべきお金の総量は利息によってどんどん増えていくのに、出回っているお金の総量はどんどん銀行に回収されて少なくなっていくのです。

そのためにどんな世界になったかというと、人々は元金しか出回っていない世の中からなんとか元金+利息分を稼ごうと先を争って死に物狂いで働かざるを得なくなり、凄まじいばかりの生存競争社会になってしまったのです。

運良く自分のローンが完済できたとしても自分が銀行に返済した利息分のお金は、誰かが借りた元金なわけです。
会社員や公務員がもらう給料もやっぱり誰かが借りた元金なのですから、もし失業しようものなら大変なことになります。
そして、期日までに返済が難しいようなら、新たに銀行に担保を差し出したり保証人をたてたりして新しいローンを組んでもらうようになります。それができなくなった時もまた大変です。

これらの借金は様々に姿を変えながら最終的には国の借金(国債・・・故に赤字国債は増え続ける)になっていくのです。

 ドイツの作家ミヒャエル・エンデが書いて日本の子供たちにも読み継がれている 寓話「モモ」の中で灰色の背広を着た時間泥棒と契約結んだ町の人々が、猛烈に働き出したことの意味は利息のためでした。

このことはよく椅子取りゲームにたとえられます。
ゲームの参加者よりも常に椅子の数が足りないので、音楽が鳴り続けている中を人々は死に物狂いで踊り回っているのです。

かくして、音楽は止み、かつまた音楽は始まるのです。椅子を取れなくなった人たちの末路がどれだけ悲惨なものかは、歴史に聞くまでもありません。犯罪、自殺、離散、精神病、心中・・・

このシステムの中にある限り世の中から犯罪がなくなるということは絶対にありません!

この椅子を取りやすくするために、経済成長(去年のパイより今年のパイを大きくする)があり、不慣れな新規参加者(第三世界を取込む)を募ったり、自然を搾取したりしてきたのです。
この利息故に個人も企業も国家も含めて人間社会は苦海の海になっています。
昔のように生産力の乏しかった頃は食べること着ること住むことができない苦しみがありましたが、現在は100億の人類でも十分に養えるだけの科学力と生産力を手に入れたというのに、なんという悲劇的な現実なのでしょう。

人々は一生の間を 仕事仕事(奴隷労働)に明け暮れなくてはならなくなってしまったのです。
才能をいくら伸ばしたとしてもそれがお金に結びつかず家族を養えなかったとしたら、それはただの役立たずになってしまいます。これではいつまで経っても人間らしい生活などは望むすべがありません。

この利息を取るということが貨幣システム上の欠陥になっていますので、いくらお金(富)を生産しても、それは循環しないで必ずどこか強い所に滞ってしまうようになり、満たされた人(国)がある反面必ず満たされない人(国)ができてしまうのです。

 もう一つ、返済できずに破産した人は不動産なりの担保を銀行に差し出さなければなりません。
一方銀行が融資してくれたお金の担保は、破産した人が返済を約束したローンの契約書です。

すなわち銀行はローンの契約が結ばれたとき、その人の口座にその人が返済を約束した数字をチョチョンと打ち込んだだけなのです。

じっくり考えてみて下さい、これが法律によって守られているのです。

だからといって銀行が悪だと言っているのでは決してありません、銀行はこれから先もお金の流通体として人間社会になくてはならないものなのですから。今ここで問題にしているのは、銀行業務のことではなく現在の貨幣システムについてのことなのです。銀行もこのシステムによって運営されているのですから。


 
 2 信用創造
 
次は信用創造についてみてみましょう。

国語辞典には 「信用創造とは、銀行などの金融機関が本源的な預金を貸し出し、その貸出金が再び預金されてもとの預金の数倍もの預金通貨を創造すること」 とあります。
これは、銀行は信用創造によって莫大なお金を生み出しているのですよ、ということ言っているのですが、どのようなシステムなのか? Money As Debtというとても理解しやすい動画がありますので、その動画の中からアメリカの中央銀行(連邦準備制度=FRB)と市中銀行の関係を日本円にして少しアレンジした物語にしてみましょう。


 いま、新しい銀行がオープンしたとします。
ドアがあいて最初のお客さんがきました。彼は家を買うために1,000万円の融資を申込みます。
銀行はあらかじめ準備預金制度という法律によって銀行の資本金の中から中央銀行に111万1,112円の保証金を預けてあります。
この時の預金準備率は9:1(便宜上)ですので、111万1,112円の9倍の1,000万円を銀行は何も無いとろから創造することができるのです。
これはハイパワードマネーといって借り手の借金の誓約があればできるのです。
この1,000万円は家を売った不動産屋に支払われます。
不動産屋は一旦自分の銀行口座にこの1,000万円を預けます。
預けられた銀行はハイパワードマネーによってこの1,000万円を増やすことはできませんが、その代わりその準備率によって分けることができるのです。
すなわち、9:1の割合で新しいローン900万円が1,000万円の預金を元に創造されます。
この900万円も同じ比率によってまた3回目のローンの原資として810万円に分けられます,同じく4回目 5回目・・・と繰り返し預金(入金)を原資にお金をどんどん創造出来るのです。
このようにして銀行は111万1,112円を中央銀行に預けることによって合計1億円のお金を合法的に創造することが出来るのです。

この天才的システムの元では銀行の融資額より預金の方が常に10%以上多いということになりますので、人々は銀行はその預金の中から融資をしているのだと思ってくれているのです。

          (引用元ネット動画:Money As Debtの中より 一部アレンジ意訳)

これはアメリカでのFRB(連邦準備制度)と一般銀行の間で行われる信用創造の作り方ですが、今ではもっと進んでいるといわれています。
ちなみに連邦準備制度というと、なにか国の省庁のように聞こえますがこれは100%民間銀行数社の連合体なのです。

 一方日本はというと、日銀のホームページにのっています 「準備預金制度における準備率」 によりますと預金の種類によって比率が決められています。
例えば、預金の場合5,000億円超1兆2,000億円以下の比率は0、8%。2兆5,000億円超の場合は1、3%となっています。債券の残高についての準備率の場合は0.1%となっています。


いずれにしても100倍近いお金を日銀への準備金を根拠に 何も無いところから創り出せるのです これが信用創造です。

銀行は集めた預金を貸しているのではなく、信用創造によって言わば勝手にお金を創(つく)っているのです。もっと単純化して話せば、例えれば1軒の家しか持っていない人が100軒の家を貸しているようなものです。ひっきりなしに入居者がある時はよいのですが不況で借り手がいなくなったときは大損です。
だから不況の時は市場(銀行)からお金が急速になくなっていくわけです。
銀行は元々1軒の家しか持っていないのですから。

銀行は好景気の時はこの信用創造によって借り手のローンの契約書があればいくらでもお金を造れるわけです。貸出枠が一杯になれば、また日銀に預ける現金の準備率を上げればその何百倍も貸出枠が増えるのですから。
しかし景気が悪くなって銀行への返済が滞ってきたらどうでしょう。銀行は元々自分のところの金庫にある現金を貸していたのではなく、信用創造によって創られた数字だけを借り手の口座に書き込んでいただけなのです。
言わば好景気の時には空貸しをどんどん繰り返すのですからこれは風船をどんどん膨らませていくようなものです、一旦不景気になって風船がしぼみ出すとやはり市場や銀行のコンピューターからはお金という数字がどんどん無くなっていくわけです。
元々銀行にはお金という現金はほとんどなく、あるのはお金という単位の数字だけなのですから。


 銀行に預けてある定期預金を解約しょうとしたとき銀行から「解約はできません」と渋られたことはありませんか。
それは定期預金は日銀への準備預金として積み上げられていることが多いからなのです。

このように現在の貨幣システムとは、消費者にとっても銀行にとっても全く不完全なご都合主義的なシステムであることが分かってきたと思います。

―ちなみに辞書を紐解いて見ますと―
・準備預金制度とは
金融政策手段のひとつ。日本銀行は市中金融機関に対し、預金などの一定割合(預金準備率)を準備預金として預けることを義務づけている。これは昭和32年(1957)制定の「準備預金制度に関する法律」によって定められており、日本銀行はこの預金準備率を操作することによって市中の資金量の調整を図る。支払準備制度。

・預金準備率とは (詳しい率は、日銀HP準備預金制度における準備率を参照)準備預金制度により、市中金融機関が日本銀行に準備預金として無利子で預けることを義務づけられた金額の、預金などの残高に対する比率。支払準備率。

となっておりますが、これらの説明で信用創造を理解できる人はほとんどいないでしょうね。




 3 お金の発行権

 お金には、硬貨とお札があります。硬貨の発行元は日本政府ですので硬貨には「日本国」と刻印されています。ちょっと前の資料の数字ですが流通量はおよそ4.5兆円です。
一方お札は日本銀行ですので「銀行券」と印刷されていまして流通量はおよそ77兆円です。
日本人の金融資産の総額は1400兆円で国と地方の負債総額は900兆円、国内総生産(GDP)は約500兆円です。 といっても資産や負債の総額は何を含めて何を含めないのかによってかなり違ってきますので正確に答えられる人は誰もいません。

それで硬貨はたとえ何百兆円発行しようと、政府が発行するのですから政府は利息を払うということはありません。お札を発行している日銀は株式会社です、政府の出資比率は55%で45%は民間です。また様々な規制がかけられています。

政府は税収以外にお金が必要となったときは、民間から国債を担保にお金を借りていまして合わせて利息も払っているわけです。
政府自身で発行すればあの莫大な利息はいらないというのにです、複利なしで単純計算にしても900兆円×1.0%=9兆円です、10年で90兆円、20年で180兆円という恐ろしい金額です。

いったい誰の都合でこんなことになっているのでしょう?


 以上見てきましたように、お金というのは誰かのローンがあって初めて創られるということが分かりました。もしローンがすべて返済されたとするならば、実はお金そのものがこの世から無くなってしまうということです。
銀行も自体が生き延びて行くためには、常に良質のローンを求めてより大きな市場を開拓し続けなければなりません。
一番安全なローンは国にお金を貸すことです、国家にお金を貸し市中銀行にもお金を貸す銀行それは中央銀行です。

中央銀行を経営している銀行家達は、この世界の経営者たちと言えるのです。
ここ何十年かの間に世界中に広がった金融派生商品という様々な投機マネーは地球上の実物経済の数倍の規模になっています。
このような投機マネーはコンピューターの中にだけ存在する所謂バーチャルなゲームのようなお金ですが、国や人々の生活に多大な影響を与えています。

 次に、お金の発行権についてもう一つ重要なこと、基軸通貨について押さえて置く必要がありますのでそのことについても見ておきましょう。



4 基軸通貨

基軸通貨であることは強烈なパワーを持っています。アメリカ経済の強さは輸出入を基軸通貨であるドルで決済できるからですが、そのことについてみておきましょう。

アメリカは聖書に書かれてある、創造主なる神を信じて建国された歴史上特異な国です。
少しおさらいしてみますと、1492年コロンブスによって発見される、1620年 当時イギリスで弾圧されていた清教徒達が信仰の自由を求めて新大陸アメリカに渡る、彼らはピルグリムファーザーズと呼ばれ、彼らの建国精神がその後のアメリカを作っていくことになります。

通貨の文字の中にもそれが現れていますIN GOD WE TRUST(我ら神のみを信ずる者なり)、そして個人の信仰においては正直、信頼、博愛、勤勉、努力、奉仕など、正に神の国をこの地に造るのだという理想精神がアメリカの建国精神なのです。

この神に祝福された新大陸は広大で美しく資源も豊富にありましたので、神の国建設に燃えた人々が教会ごと、あるいは知人友人親戚を頼ってヨーロッパ中からやって来ました。
彼らはまず教会を建て、道路や学校を作り、自分たちの家は最後につくっていきました。

アメリカでは発明発見が集中的におこって産業が急速に発展していきます、そして第二次世界大戦を迎えたわけです。
この大戦中アメリカはベルトコンベアーによる最新兵器の大量生産を行うことによって、連合国の一大武器生産国、資源供給国、軍事大国になっていました。

そして大戦が終る頃、アメリカにはなんと世界の金(ゴールド)の70%が集まっていたのです。

1944年ニューハンプシャー州にあるブレトン・ウッズで国際通貨金融会議が行われました。 
ヨーロッパの国々は国土も通貨も壊滅的な状況でしたが、アメリカだけは無傷に等しくそれどころか世界中の金と巨大な軍事力とドルをもっていました。
ここでアメリカのドルを世界の基軸通貨にすることが決まりました、すなわちドルだけが金と交換できる(兌換紙幣)、各国の通貨はドルと交換できる(固定相場制)となったのです。

お金の歴史始まって以来の最強統一通貨の誕生です。

もしこの時、アメリカの建国精神を世界中に広めようとすれば、それを受け入れない国は一国もなかったでしょう。結果的にはアメリカはそれをせず、建国精神は繁栄の中でだんだん忘れられていくことになります。
病んだアメリカ、堕落したアメリカと言われるようになり、兌換紙幣であったドルも1971年のニクソンショック(ドルショック)によってブレトン・ウッズ体制は終り、ドルと金の交換停止、各国の通貨とも固定相場制から変動為替相場制へと移行する宣言がなされたのです。

兌換紙幣にはその性格上手持ちにある金の量を超えて紙幣を発行できないという制限があります。
しかし、ドルショック以後もドルは基軸通貨で在り続けているわけですが、ここに大きな問題が発生しました。
私がとてもわかり易いと思う説明がありますので以下に引用します。



 「基軸通貨には、信じられないほどの特権があります。
それを説明する前にシニョリッジについて説明しておきましょう。
シニョリッジとは、通貨発行益といわれ、通貨発行者だけが独占的に得ることができる利益です。
 昔、お金が鋳造貨幣(コイン)だった頃、貨幣を悪鋳すると、その浮いた分だけ実物的利益を得ることができました。
 たとえば、金1g=1000円のとき、金1gを使って2000円金貨を鋳造すれば、貨幣発行者は1000円の差額を利益として得ることができます。
 
ローマ時代、軍事費と宮廷費を賄うため、貨幣の金含有量を減らせる「悪貨鋳造」は続き、貨幣による国民の富は
搾取され続けました。
中世ヨーロッパや日本の奈良時代や江戸時代にも同様のことがおこなわれています。
貨幣発行者に自己規律がないと貨幣発行特権は濫用されるようです。
   
さて、当時のお金は金属で、原則的には、その金属の価値がお金の価値でした。
ところが、これが現在のような兌換性のない紙幣だと、お金をつくるのにかかる費用は印刷代と紙代だけ。ほぼ、まるまる差益となります。
今、これを世界的に見れば、シニョリッジによる利益は、基軸通貨であるドルを発行する米国が得ていることになります。
 米国は、貿易で購入した製品に対し、米ドルを刷って渡すだけで、他国から好きなものを手に入れることができます。

      (引用元ネットブログ:世界最強の通貨「ドル」の力 あべよしひろ氏)


このように基軸通貨のパワーはとてつもないほど大きいものです。
ドルが基軸通貨であり続ける限り、アメリカは繁栄し続けますが、またドルを印刷し続けることはドルの価値をどんどん下げる結果にもなっているのですが、ともかく基軸通貨の強烈さとお金(紙幣)の発行権を持つことの莫大な利益性(破壊的)については理解できたのではないでしょうか。




  第二部 新しい金融システム

 1 人体との対比


現在運行されている貨幣システムでハード部分は整っていますので金融ルール(法律)変更すればよいということになりますが、単純にそれだけでうまく行くでしょうか。

第一部で現在の貨幣システムの問題点の核心を3つ論じましたので新しい金融システムの輪郭が浮かんできました。

そこで、この貨幣のシステムということを考える前に、はたして完成された 「シ、ス、テ、ム」 というもの自体が実際にあるのかどうか、もしそんなシステムがあったらとしたらそれを参考にして新しい金融システムが考えられるのではないでしょうか。

私たちの身近にあって、それでいて完成されたシステム? あるでしょうか?

 実はあったのです、しかも高効率で無駄がなく完璧なシステムです。
それは私たちの最も身近なもの「人体」です。
不思議なことですが調べてみれば自然につくられたものであれ、人間がつくったものであれ、すべてこの人体に驚くほど似ているのです。

少し例をあげましょう、地球は、表面に木や空気があり地表があります、人体には皮膚があって毛やウブ毛がはえています。
地下には地下水が流れ動くマグマがあり地核があります。皮膚の下には血管、筋肉、骨があり、地球は太陽を365日で公転しているように人体の体温は36,5度となっています。

人間が作ったコンピューターはハードとソフトからできていてこれは人間の心(脳)と体です。
動物も植物も人間に例えられる機能から出来ています。
では、それを金融システムに当てはめたらどうなるでしょう。

お金はちょうど血液のようなものです、血液は酸素や栄養など様々なものを運びます、お金もお祝いに頂くお金と、泥棒してきたお金ではどうでしょう、同じお金なのに人の心も運ぶというのですね、お金が沢山貯まるというのはうれしい事ですもっともっと貯まってほしいし、巨万の富というものにあこがれますよね、どんなに貯まっても邪魔にはならないし。

それではもうすこし、今度は血液にかかわる人体の臓器について見てみましょう。
かかわりの大きい臓器は3つです。
一番は肝臓です肝臓は代謝(たいしゃ)、解毒、分解、貯蔵、体熱の維持です。心臓は血流の調節。骨髄は血液を作ります。

金融システムを扱う政府の省庁としては、肝臓はおもに大蔵省、心臓は銀行、骨髄は造幣局といったところです。これらが人体の各臓器やシステムと同じように、その目的と完全に一体化しお互い補完し合いながら円滑な授受作用をしなければなりません。

また人体の完璧さはすべてのシステムが循環型になっていて無駄がなく最小のエネルギーで最大の効率を生み出していることです。排泄物までも肥やしになったります。

不正なく助け合い補い合いそれらは同じひとつの目的のために機能しなければなりません。

 生産能力と需要からお金(血液)の総量を決める事ができるし、分配と税収(臓器)によってインフレとデフレその他の実体経済(肉体)をコントロールできます。

こうなれば社会自体も使い捨て右肩上がりから、エネルギーも資源も生産もすべて人体のように環境を壊すことのない循環型にしなければ永続できません。


 それではもう一度問題を整理してみましょう。
現在の貨幣システムにおける大きな問題点は3つあるといいました、すなわち、利息、信用創造、紙幣の発行権です。

このあたりを人体で説明するのがわかりやすいと思います、

 いらなくなった血液は本来は肝臓でもって処理されているのに、現在の貨幣システムでは逆に利息によって増え続けているのです。
仕方がないので貯蔵し続けるしかないので時間が来ると肝硬変(貯まり過ぎたお金)になってしまう。
一方体の方では、血液がどんどん少なくなってきて、酸素を運んだり栄養を組織の末端まで届けたりができなくなってくる(デフレ)。 この状況をよく観察してみたら、肝臓に血液を増やす装置ができていた(利息)、それだけではなく本来は骨髄(政府)でだけ新鮮な血液は作られないといけないのに、勝手に血液を作る臓器ができていた(信用創造)、という奇形体質になっていたということです。

そうして貨幣システムの欠陥を原因とするところの人間社会全体を吹き荒れる暴風雨によって、日頃から動くこと自体も辛く様々な障害(不幸や犯罪)に悩まされ、末端では栄養不足で壊死する(自殺)所もでているのです。

まさにこの人体は瀕死の重傷患者になってしまっていたのです。

こんなことが、貨幣システムの中で起こっているのに私たちは全く気づいていないのです、システムと完全に一体となっているのでわからなくなっているのです。
自分の身の回りのことや、手にとって見える範囲のことについては詳しいのですが、システム全体を見渡すことが出来る立場にもないし、そのような情報もなかなか出まわってはいないので、かえって今のシステムを容認し詳しく解説したりしてしまうのです。

 もっと立ち入った話をすれば、この得体のしれない病気の原因はウイルスに感染しているからなのです。すなわち、見えない人間の内面が見える形となって現れているのです、不完全な人間の心的状態が自然界にはない矛盾した人間界を造っているということです。

ですから、対症療法(経済理論)や外科手術(政府紙幣発行論他)だけでは完治しません根本的治療法はウイルスを除去する強力なワクチン(人格完成のために必要な真理や環境)を摂取することが必要なのです。
合わせて行うその後のリハビリ(不完全な心的状態から人間として完成するための教育実践)によって本然の人体へと転換されなければならないのです。

これらのこと,即ち貨幣システムの改変だけでなく人間も循環型人生を選択する(個人中心よりも家族や社会のために奉仕する生き方。そうすれば家族や社会も必然的に個人を守ってくれる)これらすべてが、同時進行で段階的に行なわれなければならないのですが、そんなことが出来る地域や国は限られてくるでしょう。

どこかに矛盾がある。という事は雰囲気としてだけ皆なんとなく分かっているのです。





 2 現在の貨幣システムと新しい貨幣システム


 せっかく新しい貨幣システムがみえてきたのに ここにきてもうひとつ厄介な問題が出てきました。
現在の貨幣システムを今すぐ変えただけでは問題は絶対に解決しないということです。

これには現在の人間の精神が持っている矛盾した不完全な心の構造を先に、あるいは貨幣システムと同時に解決できなければなりません。 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければならないという事と同じです、そうしないとぶどう酒が発酵してきて伸びきっている古い皮袋は破れてしまいます。

いくら完璧な人体構造でも狂った精神によって殺される(自殺する)こともあるように。
完璧な貨幣システムをつくり上げたとしてもそれを行使する側(役人とかシステムの管理者)が狂っていればいくらでも不正ができるわけです。

そのために刑務所(病院)というものがあるではないかと思うかもしれませんが、不可抗力でなる病気と判っていてする犯罪とはまったく違います。病気には薬や治療ができます、同じように金融システムにしてもルールや組織の改変ができます。しかし分っていて傷をつける行為にはつける薬がありません。
身体の健康な自殺願望者をいくら助けても結局は自殺してしまうようなものです。

人体も病気になりますがその7、80%が精神からくるものです。次が過労で病気事故は10から数%といわれています。しかし農薬や汚染が解消され、精神的なストレスや環境までもが、もっと整えられればどうでしょう。
人体は、各臓器や四肢五体が自分勝手に他を攻撃して自分で自分を傷つけてしまう。という事はしません。
むしろ自己主張し合いながらも助け合い補い合ってひとつの目的の元に統一されています。

人間の社会もこのようにならなければどんなルールも絵に描いたもちでしかありません。
いいや。むしろ矛盾しているから人間なんだという人もいますが、そういう人の言っていることも、よく聞いてみると矛盾性と曖昧性をごっちゃにしているものです、酸素と水素を何度も何度も反応させていたら、ごくまれにですがお酒ができることもあるのです。 という話をしても科学を知っている人はだれも信じはしません。

ネズミでも事故を予見して船からいなくなるといいます、ましてや人間は、本来持っている能力をもっと高められるのではないでしょうか。

 それで現在私たちが使っている貨幣システム以外に、もっと人間にも地球にも優しい貨幣システムがあるということさえ分かれば、たとえ現在の世界経済が破綻するとしても、それが即世界の終焉だとはならないということが分かるのです。
しかし多くの人は次なる貨幣システムが分からないので、経済的破綻がすなわちこの世界の終わりだと思っているのです。
1999年にNHK特集で放送された「エンデの遺言」は、この矛盾について実に分かりやすく語られた番組でした。

 また、お金をドンドン刷って銀行への借金を全部返せばいいじゃないかと思う人もいるでしょう、今の法律ではそれはできません。
お金は銀行が一元的に扱っており刷ったお金もローンの契約を結ばないと誰の手にも渡らないことになっているのです。
銀行を通さないお金(銀行券)は、法律上偽札ということにでもなってしまいます。よしんば新たな法律を作り100兆円札を何枚か刷ってすべての借金を返したとしても、ハイパーインフレになるか金融市場が機能停止になるか どちらにしても私たちの生活自体が大混乱に陥ってしまうだけです。

ですから世界中の負債を全部返済しようと思えば、負債のある人はもちろん、企業も国家も破産するしかありません、そうなれば、世界中のありとあらゆる担保はすべて銀行のものになってしまいます。
なんというマトリックスでしょう、地球は銀行のものだったなんて。しかしこれが現実なのです。

という話は別として、このような貨幣システムを持った銀行は一体どこまで成長するのでしょうか。
それは第一章の利息と信用創造でみましたように、「新たなローンを組むことができなくなる時まで」 ということになります。それは銀行システムがこの地球を完全に飲み込んでしまうまで、つまり資源やエネルギー、技術、購買意欲等を持っている国や地域、人々にあまねく行き渡る時まで拡大した時、ということです。

その時が信用創造によって膨らんだ風船の最大位置だからです。そこまで膨らめば自らの信用創造の欠陥である 「市場が蔓延して返済が滞りだすと急速にしぼみだす」 という欠陥によって自ら崩壊してしまいます。
巨大な貸出金があるということは、巨大な預り金があるということで、その預り金に支払う利息があるからです。
もって莫大な返済猶予や返済免除(債務者破産)はしぼみゆく銀行の利益を直撃するようになります。
世界的な金融破たんというのも、実際にはその数歩手前で超大口(国家や巨大金融機関)の財政破綻による信用不安が起こり世界的な銀行の取り付け騒ぎ、あるいは釣鐘型グラフのようにある日突然需要と供給のバランスが崩壊して機能停止に陥るとかということになるのではないでしょうか。当然その釣鐘の切り口は一様ではなくかなりギザギザしたものでしょう。

国家破綻についてはかつて日本も第二次世界大戦のあと経済破綻しました。そのときはお金の価値を数百分の1にし、新円に切り替えることによって新しく出発し直しました。 100万円が数千円になったのですから このときそれまで使っていたお金は紙くず同然になりました。
しかし金融システム自体を変えなければいくらリセットしたとしても結局は同じことの繰り返しになります。 

2009年1月に死去した英国五代目ロスチャイルド家当主で金融王だったエドマンド・ロスチャイルド氏は、99年来日したおり
「今世紀後半、ひとつの呪いが世界を覆っている。自分が他人より金持ちにならなければならないという妄想です」と語ったことも、なにか時代の大きな曲がり角を暗示しているようでした。

古い貨幣システムが幅をきかせてきた時代と、新しい貨幣システムが必要とされる現在とを比較してみましょう。

古い貨幣システムの時代は、高利貸し達が持った自己中心性、自分さえ良ければ人はどうなってもいいのだとか、富や人間をもっと支配したい、といった人間の生の利己心が作り上げたシステムでした。
それらが産業革命の時流に乗りました、産業革命の時は新しい商品だとか技術だとかインフラにしてもとにかくできるだけ最初の方にその利権を持った者が莫大な富を築けた時代だったと言えます。


 しかし悪いことばかりではなく、逆に時代が進むに連れ人間は学習したことも事実です。
そして歴史の教訓を生かし、新しい希望的な未来に向かって社会変革を繰り返しながら産業を発展させるというニューウエーブも興こしてきました。

近年そのようにして創られてきた産業の芽は段々大きく成長して行き、とりわけ先進国では公害問題を克服し、省エネや環境の保護、ゴミの分別に見る資源の再生循環型社会の構築、コンピューター社会の出現、養殖産業、またエコカーといわれる電気自動車やハイブリッド自動車も販売されてきました。
エネルギーの開発にしても、シェールガスやメタンハイドレートといった新エネルギーの鉱脈が世界中に発見されてくるし、クリーンエネルギーである核融合も実験段階に入ってくるというように人類にとって極めて安楽な生活環境が整いつつあります。

また人間のもつ精神も格段に高まってきています。
動物愛護、災害時には沢山の支援金が集まるというようなボランティア精神の高揚のように人や社会の役に立ちたいと思う人が7,80%にも達してきているのを見てもこの新しい貨幣システムが今や社会が必要とし受け入れられる素地ができつつあると見ることができるのです。


私たちは今まで貨幣システム自体をなにか自然の摂理の一つとして聖なるもののように、けして変えてはならないもののように捉えてきたのではないでしょうか。
お金とはなんなのでしょう。

すべての人間の一生をとりこにして離さない貨幣システムとは、一体なんなのでしょうか?
NHK特集「エンデの遺言」の中でエンデは、

「貨幣システムの真の姿、それは人間が作ったただの「ルール」だったのです。人間が作ったルールだから人間が変えられるのです」 と語っています。  



  

3 新しい貨幣(金融)システムによる国家



 もし人々が、今とは違ったお金の価値観を持つことができたとして、また多くの国民のおおよそのコンセンサスを得られるとしたなら・・・・。


 新しい金融システムを取り入れた国では、お金は政府が発行するようになります。
お金はもはや負債として存在するのではなく、発行したお金は国民の財産となり、生産と需要に見合ったお金の量が、発行されるようになります。

お金の分配方法は、国と国民は親子の関係ですから、親が子を養育するように国が月づき国民一人当たり10万円ほど(仮にザックリと)を基本的な生活保障てとして毎月支給します(家族及び国家運営経済の基礎金)
子供の衣食住には親が責任を持つということですね。(国民皆奉仕員)
基礎金により病気の人も生活には困りません、基礎金以外に働くことによる収入があります(仕事とは仕える事と書くように奉仕する事、有償ボランティア)


そしてお金につく利息はプラスではなくてマイナスです。

お金ごっこをしたことのある人は想像がつくと思うのですが、この遊びは最初に親になる人がみんなにおもちゃのお金を分配してそれぞれに物とかサービスとかを交換あっていくのですね。
このときルールによって利息をマイナスに設定するのです、すると分配されたお金は毎月使わなくても減っていくようになります。
自分のお金だけが減るのではなくて、発行されたお金すべてが時間と共に減っていくのです。

みんなのお金が減るから また減った分分配できるのです。
こうなるとお金を財や富の手段として蓄えようとする目的はあまり意味が無いことになってしまいます。あとで詳しくお話します。


 さて、教育と経験によって 他のために生きようとする道徳や倫理を身につけた国民は、自身の天分や趣味に応じた仕事(奉仕)をしてそれに応じたお金を循環させます。

循環と言いましたが、これはお金がもはや希少なものではなくなったため、お金本来の目的である 「物とかサービスを交換するための媒介物」 となって絶えず人から人へと循環するようになるという意味です。
ちょうど肝臓に蓄えられる過不足のない栄養が血液によって人体の隅々にまで運ばれるように、個人にも過不足のないお金が絶えず回ってくるようになります。

生産業や公共事業、役所の仕事もたくさんあります。特にサービス業や趣味産業は多岐にわたって発展していくでしょう。 どんな仕事でもやりだせばとても面白くまた奥が深くなっているのは、天からの贈り物だったかも知れませんね。

お金につく利息はマイナスです。毎月1%ずつ(今仮に)元金が減っていきます。ですから誰もお金を必要以上に溜め込もうとはしません。
お金は物とサービスを交換する手段という本来の目的物になるのです。

これらが循環と永続的な発展、宇宙開発までをも約束します。

 利息がプラスとマイナスではどう違うのかということはなかなか理解出来ないと思いますので、たとえば第一次国際ハイウェーを建設するという設定で話してみましょう、予算は100兆円とします。



 ①現在の貨幣システム(銀行券・利息あり)の場合。
最初に国際ハイウェー財団なりの事業主体を作ってそこが100兆円を銀行から借りることになります。
年利息を3%と仮定して100×0.03=年3兆円  10年で30兆円20年で60兆円、50年で150兆円という利息です。 
それで元金と利息と毎月の通行予測収入やメンテナンス料・人件費・諸経費・返済年数等々から計算して、毎月の銀行への返済額を決めるようになります。 
国際ハイウェーですから距離も長い分通行料金もかなり高額になるでしょう。人や物を遠くまで運ぶ手段は飛行機や鉄道、船舶もありますので通行料金が高額だと利用価値のある部分しか利用しないという問題も含まれます。
予測通りの交通量があればいいですが不況で交通量が落ち込んだらどうでしょう。
融資してくれる銀行があるのかどうかという話は別にしても、とにかく完済し終るまでハイウェーはまだ銀行のものです。



 ②次に政府発行紙幣で利息がマイナスの場合を見てみましょう。
国際ハイウェーを建設するのに、政府が100兆円を投資します。これは政府が直接発行する政府紙幣(国民紙幣)ということです。
利息は毎月1%ずつマイナスです、100兆円ですとちょうど100ヶ月で元金の100兆円は0円になります。
万物は時間がたてばその価値が減少していくようにです。
8年と4ヶ月たてば投資した資金は0円になり、「第一次国際ハイウェー」が国民の財産として残ることとなります。


この①と②の違いの大きさはどうでしょう。①の場合は発行したお金が返済不能かもしれない巨額な負債となり②の場合は年月が経てば投資が資産となって残ったわけです。
極端に言えば、②の場合通行料金を無料でもいいとは思いませんか。

じっくり考えて下さい、このことの何処に不都合があるでしょう。 お金は利息によって増えていいのだ、と思うその心は何処から来るのでしょうか。

自然の営みを見ましても、穀物はその種を植えれば何百倍何千倍にも増えるようになっています。家畜も魚もやはりたくさん産み増えるようになっています。


これらの価値をお金と利息に置き換えて考えてみて下さい。以下はもう一つの喩えです。

①神様は1年分の穀物を造り我が子に与えました、利息を0%としたらこれは穀物の総量が増えも減りもしないということ、つまりその穀物の種を畑に蒔いても増えないので芽が出てこないということです。人間は穀物を一年キリしか食べられませんので次の年には飢えて死んでしまいます。


②次は子供に与えた穀物から利息を取るとどうなるかです、子供の立場からしたら もらっていた穀物の中から毎月利息としての穀物分が減っていきますので次の年まで生きることすらできません、利息として持っていかれる穀物を横目で見るのは精神的にも辛いことでしょう。


③次は利息がマイナスの時です、このことは子供の立場からすればもらった穀物が毎月増えていくことと同じ勘定です。つまりもらった穀物の種を畑に植えておけば秋には豊かな実りが約束されることと同じです、子供は毎年十分な穀物を手にいれることができ寿命のある限り生きていけます。それどころか子孫も沢山残すことができるでしょう。


 自然界の営みは①②③の どのタイプになっているでしょうか。

万物というものは時間がたてばすべて劣化します、尊い人間の身体でさえも劣化するのです、なのに、どうしてお金だけは劣化してはいけないのでしょうか? 
どうして人間がお金に仕えなければならないのでしょうか?
利息によって、永遠に生き続けようとする金融システムの本質(正体)とは一体なんなのでしょう。 

お金も利息も貨幣システムも人間が作ったものです、人間が作ったものなら人間が変えることができるのです。

このマイナスの利息すなわち償還利息について、ヨーロッパで実際にあったというお話を紹介しましょう。


 アルプスを間近に望む、オーストリア・チロル地方、
1922年に始まった世界恐慌の影響はここにも及んで
いました。
ドイツ国境にほど近いヴェルグルは、一人の町長の
決断で今からおよそ70年前に、シルビオ・ ゲゼル
の自由貨幣を実践した町です。
ヴェルグルは、スイス、ウィーン、ドイツを結ぶ
鉄道交通の乗換駅として発展を遂げていました。
 しかし、世界恐慌はこのオーストリアの地方都市
にも深刻な不況をもたらし、生産は停滞し、失業者
は町に溢れました。
 当時のヴェルグルの人口は5000人足らず、その
うち失業者の数は400人にも上りました。
税金の収入は激減し負債は膨れ上がっていました。
町は財政破綻の状態だったのです。
当時の町長、ウンターグッゲンベルガーは、貨幣の
流通が滞っていることが、経済破綻の原因と考えま
した。
 通貨は溜め込まれ、生産活動に使われなくなって
いました。お金が循環しなければ失業者は増え、
生産は減り、消費は落ち込みます。
 1932年4月、町議会に諮ってヴェルグルだけで
通用する、地域通貨を発行することを決議しました。
町が事業を起こし、失業者に職を与え、それを労働
証明書という名目の新たな地域通貨で支払ったのです。
 この紙幣の裏側には、宣言文が刷り込まれています。

 (宣言文・・・諸君、貯め込まれて循環しない
  貨幣は、世界を大きな危機に、そして人類を
  貧困に陥れた。労働すればそれに見合う価値
  が与えられなければならない。お金を一部の
  者の独占物にしてはならない。 
  この目的のためにヴェルグルの労働証明書は
  作られた。貧困を救い、仕事とパンを与えよ。)

 町は道路や公共施設を建設し、失業者に地域貨幣
を支払いました。
 奇跡が起きました。
最初に給料として支払われた地域貨幣は非常な勢い
で町を廻り始めました。
回転することで、お金は何倍もの経済活動を行える
のです。
滞っていた町の税収が確実に増え始めました。
すみやかに循環するお金の秘密は、紙幣に貼られた
スタンプにありました。
このお金は月初めに額面の1%にあたるスタンプを
買って貼らなければ使えません。
言い換えれば、一ヶ月に1%ずつ価値が減っていく
のです。
ですから、このお金を手にした人は、まずこのお金
から使います。
こうして一枚の紙幣は次々に循環していきます。
経済活動を推進する機能をお金が持ったのです。
このゲゼルの老化するお金は貯め込まれることなく、
流通し続ける画期的なものでした。
この地域通貨は、公務員の給料の支払いにも使われ、
銀行にも受け入れられるようになっていきました。
ヴェルグルの成功を見て、周辺の町でもオーストリア
シリングと併用できる独自の地域貨幣の採用を検討し
始めました。
 しかし、オーストリア政府は、貨幣発行は国家の
独占的権利であるとして、自由貨幣を禁止しました。
 世界でも例のないお金の実験は1933年9月わずか
13ヶ月で幕を閉じたのです。

「NKH特集エンデの遺言」1999年BS放送  から引用



もしこの実験が途中で止められることなく続いていたら、どのようになったでしょう。

このようにわかってくると、お金という概念は今とは一変し人間が生活するための助け手として、国家が発行する便利なサービス券となります。
余ったり滞こったりした資金は、必要な事業や国民に再投資され循環型社会に合わせて、お金も企業や個人の生産量と需要にみあった資金量が絶えず循環します。

 このような世界で育つ子供達の教育はどうでしょう、生活苦とは無縁の家庭に誕生した子供は、まさに親の喜びの対象であるし子供も親を喜ばせることに生きがいを持つでしょう。 知的情的好奇心を追求しながら豊かな個性があふれる社会は、人のために生きることが自分の最大の喜びとなる社会になるでしよう。
 

授かった天稟は回りを喜ばせるために使い、大人になった後は趣味が仕事となり、その仕事は家族のひいては地域や国家の共通の財産となりますので、発展していく社会からは犯罪や罪の影が急速に無くなっていくでしょう。
「心の欲する所に従えども矩を踰えず」」という人間の理想像は 教育によって一人ひとりが良心に従って生きることさえ身に着ければ、身体が完成するころには 良心のあるていどの完成も達成できるのではないでしょうか。

そして生活環境の拡大は本格的な宇宙開発にむかって進んで行くでしょう。



  ソフトランディングするためには準備しなければならない事が沢山あります、が時間はかなり差し迫っています。
といいますのも、もしシンギュラリティ(技術的特異点)を迎える日が現在の大資本家中心の社会体制のままだったら、まるで私たちの未来はハリウッド映画みたいじゃないですか。

未来の為に子孫のために誰かが始めなければならないことだと思うのです。
富める人が尊敬を集めるよりも、人格人徳を基本にして人知天智に富める人がより大きなものを動かせる世の中のほうがいいではないですか。

それをなせる国が一つだけ・・・

第3部は、エネルギー、食料、安全保障、教育、伝統・固有文化を大切にする国体等々、資本主義から抜け出すためのシナリオです。
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